ばあちゃん

 

先週、ママの癌の話を聞いてばあちゃんは相当ショックを受けていた。

 

それから、あったのが今日。

 

 

ばあちゃんは、ショックで自分の行動に後悔していたり、子供の頃父親がいなくて貧しい生活、思いをさせたことに申し訳なく思っていたり、なんなら、自分がなればよかったのにと考えた。

ママの病気が落ち着くまで

自分の足が痛いことや弱音は禁止して、大好きなグンソクとも距離を置くことを決めた。

 

流れで昔の話を聞いた。

 

ばあちゃんは終戦直後に生まれ、

保育園で生みの親から離れ父親と育ての親と暮らしていた。小学四年の時に友達から、実の母ではないことを聞いた。

中学の時に、生みの母のいる新潟に大きな地震がありその時初めて会いに行った。

ずっと育ての親が母親だと思っていたから、小さな頃の記憶はあまりなかったみたい。でも小さな頃から何故か記憶にあった景色の場所がそこにはあったらしい。

父親は女癖が悪い人だったらしく、中学の時には別の女性と暮らしていていた。

父親が病気をし、お見舞いにいったらしく、その時に連れ添っていた女性が近所の美容院にきているお客さんで見たことのある人だったそう。

昔からお父さんと呼べなかったらしい。

早くに亡くなったんだけど、最後くらい行ってやりなさいと言われたけど最後でもお父さんと呼ぶことはできなかった。

その後は育ての親と2人で暮らしていた。

いつ出て行こうかって考えていたって。

子供の頃はほんとに寂しい思いをしたと言っていた。

そんな子供時代を過ごしたから、自分はいい家庭を築くことを夢見た。

 

結婚し26歳でママを産んで、妹を産んで、のちにばあちゃんは旦那さんと離婚を決意した。

なぜかは言わなかった。聞かなかった。

決意したとき、あるだけのお金を持って、

ママに何にのりたい?って聞いたら、新幹線と言ったから大阪まで行って、海に行きたいと行ったからそのまま和歌山までいった。1週間くらい滞在して、帰る時に、女将さんから、自殺するんじゃないかと思ったと言われたそう。

 

とにかくそれからばあちゃんは、ママと妹を1人で育てた。

1つのそばを三人で分ける日もあった。

 

 

ねぇ、ヤマナカにお父さん買いに行こうよぉ

 

 

妹のいった、そのセリフが忘れられないらしい。

 

自分がした辛い思いを、自分もさせてしまったことに、こんな経験から自分を責めていた。

 

話の終わりには、

そんな私にとって、

なっちゃんは宝物だと、会うために生まれてきたと思えるような存在だって。

 

ばあちゃんは、生まれ変わったら、特別なお金持ちじゃなくていいから程よい生活と両親がいて、兄弟がいて、犬がいて、、そんなふうになりたいと。

 

 

 

淡々と書いたけど

話聞いてた時は

全然淡々としてなかったよ、(笑)

 

 

 

色々感じて思ったけど書ききれない。

 

どんなことでも、今の幸せがあることに繋がっているから後悔することも含めてのことだと思う。

私の人生は、波乱万丈でもなんでもなく、

本当に恵まれていて、幸せだと思った。

ばあちゃんが苦労した分、私が苦労してないのかなって思うくらい。

なんなら、ばあちゃんの生まれ変わりたい人はもはや私だよと思った。

生きながらにして、生まれ変わったようだと思った(笑) 

そう思うと、私も幸せでいないとな、なんで感じた。

周りの人を幸せにしたいし、もちろんばあちゃんも幸せにしたい。

恵まれた環境があるからこそ、幸せを感じ、幸せを与えられたらいいなと思った。

 

私が生まれて、今ここでいることを、感謝するととともに、生まれるまでの過程での様々な人の幸せなことや苦労したこと、すべてに、感謝します。

 

 

悪いことだって、後悔することだって、

あったからこその今があるよね。